昭和40年03月16日 夜の御理解



 今日、春の総会が原鶴の六峰館で、それと、ここのほんと中堅の方達、53名(?)、あちらのお広前いっぱいで、感激いっぱいの、体験発表。そして和やかな食事を共にさして頂いて、また信心の懇談会、それから、ご造営に対する委員の方達の会議などが別室でございまして、もう本当にもう少しの時間の無駄もなく、盛大なおかげを頂いたわけでございますけれども。
 本当に、あの今日、文男先生とも話したことですけれど、本当に椛目の方達の、信心の内容が、どんどん向上していかれておられるということがです、あの、総会に発表される体験の中から、それを感じることができると言うて話したことでございました。一番初めに、あの、嘉朗さんが青年会を代表して、お話をしておりました。本当に元気一杯、この正月に、椛目の曙という事を頂いた。
 椛目の曙は、そのまま教団の曙に通うことであると。というようなお話でした。明治維新の若い青年の方達が、奮起したあの事例をひいて、ご造営、15年の記念祭と、それを目指してかく進ませていただこうと、各また実行しておると、というような、生き生きとしたお話を初めに、もう次から次と発表される、先生達の内容にというですかね、関さんのお話でした。
 本当に、日々間違いのないお働きの中に日々おかげを頂いておる。今日、この総会で皆さんのお話を頂いておるうちに、今日ただ今、ご造営に対するところの発心が出来たというような大変元気のあるお話をなさっておられました。中村さんが敬親会から起って話されましたが、もう、本当に、もう、ただただ、もう、本当に感心してしまいます。もう、あの、七十いくつかのおばあさんがですね。
 もう堂々としてです、親先生が日頃おっしゃる、限りなく美しゅうなりましょうやと、限りなく美しくなりましょう。この合言葉をもって椛目の者が進んだら、私が助かるだけではない、人が助かる。自他共に助かって行く道が開けて行く。それを、もう非常にもう、綿密に、言いたい事を十二分に言い尽くすようなお話でしたですね。いつもの中村さんのお話よりも、もう落ち着いた、堂々たるお話でしたですね。
 もう、今日、テープレコーダーを持って来てなかったのがおしかったと言うて今日話したことでございますがね。その、内容がそれぞれ素晴らしいですもんね。あの、婦人会から堀尾さんが起ってお話なりました。どうでもおかげ頂きたい、どうでもおかげ頂きたい。為にはどういう信心をさして頂いたらいいでしょうかと。と言うて文男先生にお伺いしたら文男先生が、改まる以外になかろうがちゅうて(笑)ほんとに改まったらどげなんおかげが頂けれるでしょうかちゅうて。
 しばらくご祈念しておられたが、秋永文男先生がこういう事を教えて下さいましたと言うてから発表しておられました。一改まりが五万円ち。(笑)素晴らしい事だと私思わず聞かせて頂きました。本気で十改まらして頂きゃ、ね、言わば五十万のおかげが受けられるち。文男さんが発表しておりました。出来るか出来んか知らんけれども、自分は百万円献納を目指して進んでおる。もう実際に自分もそれを実行しております。
 そのなんというですかですね、その(越すも発心なら ?     )出来るというような感じですね。その勢いに皆も、やはり、私の一番初めの、御祈念終わってからの、お話の中にもございましたように、お互いの信心を進めて行くと言う。大祭というのは、総会というのは、いつも私が申しますように、大祭を一月後に控えて、自分の信心の調子はどのような状態であるかという事をです。
 皆の信心を聞かせてもらい、自分の信心を発表さして頂きながらです、自分の信心の調子を整えるという事がポイントであるという御理解である。その調子を皆さん整えられたならば実感の中に、今日一日の体験発表がございまいした中にいつもの事ながら清さんのお話の感激一杯、もう元来の拍手がございました。もうとっとっとして話される。先日も、福岡のお月次祭におかげを頂かしていただく。
 ところが時間が余る。今から行けばかえってお世話になるので、映画でも見ろうか、パチンコでもしようか、とこう思ったけれど、待て待て、とにかく神様にお伺いをしてからと、と思うてお伺いをさして頂いたら、パチンコもいかん、映画もいかんと頂いた。そこで駐車場に車を入れてその駐車場の中で、そんなら神様と共励をさして頂こうと思うたっち。(笑)自動車の中で、待つ時間。ね。
 そして、その駐車場から見える、赤いようなあの、ゴウ、ストップのシグナルを眺めさしていただきながら、ね。あれが神様だと思うて神様と共励さして頂いたというのです。ね。青の電気がついた時に規制すりゃあいい。青の電気がついた時には行かずに、赤の電気どもが点いてから行こうか、はあ、こりゃこりゃと言うて神様からお叱りを受ける。あれが神様なのだ、あれが神様のお心なのだと。
 いつも私共は神様のみ教えを本当に対して行くならばです、ケガ、過ちのあるはずはない。おかげの頂けんはずはない、おかげの道を頂き、きれんのだけれども、ストップを送っておるところの赤が出ておっても、言わば押し切っていこうとするところにおかげが頂けない元があるという。私はこの話を聞いて(咳き)日頃私が言うておることをです、もうその事だけで言い尽くしておるという感じで聞かせて頂きました。
 最後に、代さんを代表して、永瀬さんが、もう今までかつてないほんと総代、ほんと名総代の、それを感じさせて頂いたんですけれども。大祭、ご造営に対する自分の抱負、ご信者、全般の方達にかける期待、同時に願いそれも実にまとまった堂々たる、生き生きとしたお話で、最後結ばれました。もちろん、最後に秋永先生が、もう本当に秋永先生一流のお話で最後終わらせて頂いたのでございますけれども、ね。
 ああいう生き方、そういう勢い、ね。それはお互いの信心がもちろん進んでいきよると同時に、特別の神様のご守護の中に私共がお育て頂いておるという事を分からしてもらい、そういうお育ての働きの中に自分が落語をする事のないようなおかげを頂かなければならないなということを感じさして頂いておる。皆ここへ引き上げて帰ってまいりましてから、しばらくそこに座らせて頂いておりましたら、急に。
 ここに座ることを頂きますから、奉仕着に着替えて座らせてもらいました、私が立ちましたもんですから、皆さん、帰る用意してここ全部、帰るお届けに出てまいりました。私ここに座らせて頂きましたら、上野愛子さんから、現金封筒でお陰をを頂いて、あの、手紙がまいっておりました。ははぁ、これがあったからだなと私思うた。上野、最高のと言うんでしょう、愛と言うのは、神愛と言うんだと思います。神様の愛。
 だから上野愛子と思っての表現の時は。天地乃親神様を表現と私はいつも頂いておる訳なんですけれども。その天地乃親神様からこうしてお互いが引き取って言った様な感じがしたんです。すぐ開封いたしましたら、先日13日会のお届けをして御座いましたけれども。昨日この事この中に昨日と書いてある。昨日久しぶりに富永先生の所に参りましたと奥さんが一人でお留守番でしたから、ああ椛目の模様を聞かして頂きました。
 徳永さんの話を頂かして頂きよりましたら、椛目全員の方達もです、もう生き生きとした記念祭に向かっての邁進振りというものを聞かせて頂きましたら、私の心にあったもう一切のモヤモヤがですね、いっぺんになくなってしまいましたと。どうぞこれはわずかでございますけれどもご建築費に。これはお初穂にと、まあ行き届いたそうした、そのお届けがあっておりました。ただそんなことを皆さんに申しますんですね。
 皆さんはこうやって一生懸命意気込んでおられるとです。もう神様がこうして先頭に立って口を切って下さったという気がするじゃないですかというて、帰る時、皆さんに申したことでございます。ね。そういう働きの中に、お互いが、日々おかげをこうむっておるのでございますから、それとてもこちらがキャッチする生き生きとした心がなかったならば、それをキャッチすることは不可能で御座います。
 それをキャッチする心、ね。それを受け止める心。秋永先生が言うておりました。ね。10年後、あの時にこういうおかげを頂けれる徳は受けておったんだな。と言えれるおかげを頂くことでございませんかちゅうてから、言ってました。それは、例えば先程文男が話しておりましたように。椛目が次から次とご造営の時代、もうとにかく今日は御用ばっかり、今日は卵だけ、と言う様なことです。ね。
 あれを一部屋、一部屋です。例えば椛目が大きくなって行った時代の打ち込んだ御用のことを、あの時が、何も出来ませんから。僕は体なっと打ち込んだのだけれども、もし僕が、現在お徳を受けておるとするならば、あの時受けておただろうという話をしておりましたがですね。その事を聞いて秋永先生がそう言ってました。ね。10年後、ね、私がこのおかげがです、ね。
 この事がいつ出来ておったかと言うならば、あの15年の記念祭の時に、こんなご造営の時に頂いておったと。そう言う働きの中に、お互い漏れてはなりません。言う様なお話で、秋永先生が最後結んでおられましたがね。ほんとにもう頂かして頂くものを、まあ私と同様に感激いっぱいで、今日の総会を有意義に頂かれ事であろうと思うんで御座いますけれども、どうでもその椛目全体の動きの中に、自分の動きがなからなければ私はいけないと思う。椛目とともにおかげを頂こうという願いがなかならければいけないと思う。おかげを頂かにゃいけません。